2016年3月13日午後1時 三条大橋でKY君 HKと待ち合わせた。KY君は東海道五十三次を主に徒歩で踏破。
最終日のこの日は大津を午前8時45分に発ち 三条大橋まで歩いた 最も厳しかったのは箱根越えだったと思われる
 
私たちは学生時代 古美術研究会庭園班に所属した仲間で KY君の東海道五十三次踏破の契機は定年退職。
今後は中山道に挑戦する予定で その前に四国八十八ヵ所を行脚するという。
 
当日KY君とともに等持院と高山寺を拝観。 翌朝HKは金沢に出社 KY君と私は仙洞御所を参観した。
 
護王神社の新郎新婦
護王神社の新郎新婦
 
3月13日の京都は新婚カップルであふれていた。われわれが泊まったホテルの隣(南)にある護王神社で
挙式した新婚さんがホテルで催される披露宴に向かっている。時刻は正午過ぎ。
 
等持院、高山寺拝観後、適当な喫茶店は見当たらず、ホテルのカフェに入ろうとしたところ、
ふだんはガラ空きなのに、披露宴を終えた出席者が繰り出し、わずか一席を除いて満席だった。
やかましいくらいの賑やかさにもかかわらず(歌い出す人もいた)、われわれ3人は歓談にふけった。
 
 
等持院
等持院
 
等持院の概説は最下部のバナー「等持院の椿」を参照してください。
 
等持院
等持院
 
関牧翁(1903−1991)筆の祖師像。
 
等持院
等持院
 
芙蓉池と清漣亭。
 
等持院 清漣亭
等持院 清漣亭
 
茶室「清漣亭」。
 
等持院 芙蓉池
等持院 芙蓉池
 
 
等持院
等持院
 
 
 
高山寺 石水院
高山寺 石水院
 
京都市右京区梅ヶ畑栂尾町の山あいに佇む高山寺には国宝「石水院」、国宝「明恵上人坐像」(複製)、
国宝「鳥獣人物戯画」(複製)などの貴重品が拝観客を待ち受ける。
 
高山寺 石水院
高山寺 石水院
 
 
石水院 廂の間 善財童子
石水院 廂の間 善財童子
 
善財童子は国宝でも重文でもないけれど、この日「東海道五十三次」踏破を達成し、終点「三条大橋」に
到着したKY君にとっては縁のある彫像かもしれない。
 
というのも、石水院・廂の間に安置される善財童子を導く五十三人の善知識(菩薩や人間)の数に
もとづき東海道五十三次の五十三宿が生まれたという説があるからだ。
 
石水院 善財童子
石水院 善財童子
 
 
石水院 善財童子
石水院 善財童子
 
ファインダーから見る善財童子のシルエットに目を奪われた。画像をPCに取り込んで見ても
シルエットはよかった。
 
われわれが拝観したとき人影はまったくなく、約20分後に拝観客が数人きた。
 
石水院 善財童子
石水院 善財童子
 
 
 
拝観20分間は貸切り。
 
石水院 明恵上人坐像
石水院 明恵上人坐像
 
明恵上人(1173−1232)は茶祖といわれ、宋から持ち帰った茶葉を栂尾山に植えたことで知られる。
建礼門院は明恵により受戒された(明恵上人伝記)。
 
「明恵上人伝記」に「御受戒あるべしとやがて出で給いければ、女院驚き思召て急ぎ御簾より外へ出でさせ給ひ、様々に悔み申し給ひ、
高座に居ゑ奉り信仰を致し、ご受戒ありけり。その後は殊に上人を貴び給ひて、最後まで深き師壇と成りおはしましけり。」と記されている。
 
建礼門院が出家した年と明恵上人が建礼門院を受戒された年が不明なことと、明恵以外の僧から受戒されたこともあり、さらに、
建礼門院の没年がはっきりせず、専門家ではない私にはよくわからない。建礼門院は1155年生まれで明恵より18歳年長。
 
 
高山寺 金堂
高山寺 金堂
 
金堂のあたりもわれわれのほかに人影はない。晩秋、紅葉の時期はたいへんな混雑となる。
 
 
大宮御所
大宮御所
 
3月14日11時の参観だった。冷たい雨にもかかわらず仙洞御所はしっとりした雰囲気に満ち、
参観客も少なめだった。参観許可は届いたが天候ほかの理由で取りやめた人もいたのだろう。
 
受付で参観許可証のコピーを提出したら、座っていたのは宮内庁京都事務所の品川栄一さん。
地味なベージュのジャンパーふう制服を着ていたので一瞬どうかと思ったが、まぎれもなく品川さん。
以前、仙洞御所で一度、桂離宮で一度ガイドをつとめ、名解説が印象に残っていた。
 
2015年冬に放送されたザ・プレミアム「京都御所 至高の美の守り人」ので「衣紋道」(えもんどう)の
継承者として品川さんは出演していた。衣紋道は平安時代から伝わる最高の着付の作法であり、
束帯と呼ばれる貴族の正式な衣裳の着付を後世に伝える役目を担っている。
 
思わず「‥品川さん」と口走った。衣紋道という言葉をド忘れしていたけれど。
 
品川さんは昭和天皇の「大喪の礼」、今上陛下の「即位の礼」において陛下の着付を担当していた。
衣紋道は京都事務所の野村さん(桂離宮の名ガイド 品川さんの後輩)に継承されるはずである。
 
紅梅より濃いピンクのカサ。
 
 
仙洞御所の概説も下のバナー「仙洞御所 冬」を参照してください。
 
仙洞御所 北池
仙洞御所 北池
 
 
仙洞御所 阿古瀬淵
仙洞御所 阿古瀬淵
 
北池の北西にある小さな入江は阿古瀬淵と呼ばれている。
 
 
 
 
 
仙洞御所 中島への土橋
仙洞御所 中島への土橋
 
 
仙洞御所 さるすべり
仙洞御所 さるすべり
 
さるすべりの向こうにある石橋は、三条白川橋の石材を短冊に切り出し、二枚をずらせて並べている↓
 
石橋
石橋
 
 
南池
南池
 
 
掘割と紅葉橋
掘割と紅葉橋
 
堀割は北池と南池を隔て、同時につなぐ。堀割には紅葉橋と呼ばれる土橋が架けられている。
 
 
 
州浜
州浜
 
州浜の奥に見えるのは八つ橋。現在工事中で橋をわたることはできない。
 
醒花亭
醒花亭
 
 
醒花亭
醒花亭
 
建坪は約30坪。屋根は柿葺、紅殻色の壁、数寄屋造り。
 
醒花亭
醒花亭
 
 
柿本社
柿本社
 
柿本社の謂われは柿本人麻呂=火気の元、火止まろ。
 
又新亭 中門
又新亭 中門
 
又新亭は近衛家から献上された約37uの茶室。中門は茅葺き。
 
又新亭
又新亭
 
又新亭の屋根は左右で柿葺と茅葺きに分かれている。
 
又新亭
又新亭
 
仙洞御所参観後、KY君と私は高辻通に面したホテルの中華料理店で昼食をともにした。
食事中に雨もあがり、京都駅前でKY君と別れた。