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高台寺パンフレットによると、吉野太夫(二代目 1606−1643)と灰屋紹益(京の豪商 1610ー1691)の好みの茶席。
ふたりは1631年夫婦となる。吉野太夫をめぐって近衛信尋と争い身請けしたという。吉野太夫の死後、灰屋紹益が建てたとか。
灰屋紹益は最晩年の本阿弥光悦や、後水尾帝、桂離宮で有名な八条智忠親王とも交流があったようだ。
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書院と開山堂を結ぶ屋根つき廊の途中にある四本柱の建物。檜皮葺き、唐破風。
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開山堂東側の庭園は小堀遠州の作ということだが、石組みほかも特段述べるべきものはない。知らなければすぅーと通りすぎるくらいの庭。
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書院前から観月台方面を撮るとこうなります。
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外国人観光客が多おしたえ。こちらはんはスペイン語お話おしたけど、必ずしもスペイン人というわけでもおませんわ。
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方丈に足を一歩ふみ入れると、目にもあざやかな黄緑色。しだれ桜の葉桜です。
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桜満開のころも結構なものでありましょうが、緑もまた結構な。
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みなさん、ビニール袋に靴を入れて。
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方丈を出て勅使門に向かう途中にある。延段の修理をしている人がいた。
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霊屋(おたまや)と開山堂を結ぶ石段。瓦屋根の上からみると龍の背に似ている。臥龍廊は通行できない。
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霊屋から傘亭、時雨亭へ向かう石段の坂道はシャクナゲが盛りを迎えていた。
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傘亭へつながる石段から四条、五条あたりの町並みを遠望できる。日傘をさしているのは所化ふうの女性アルバイト。
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伏見城から移築された茶室。利休作と伝わるが、伏見城は利休切腹後に建てられている。
傘亭の見所は天井だが中に入れない。竹が放射状に組まれカラカサを開いたような様子は見られない。
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ガイドはん、こんな姿勢で見させようとしているけど、よう見えへん。上半身かたむけると、しんどおすえ。
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ここから見ても天井の一部しか見えしまへん。
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時雨亭と傘亭は檜皮葺き土間廊下でつながっています。
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二階建ての茶室は珍しい。傘亭どうよう伏見城からの移築と伝わる。
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垣根の外(裏側)から見る時雨亭と傘亭。
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傘亭&時雨亭から出口に通じる小径に竹林がある。
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竹林からはこんなものまで見えたりして。
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