2016年4月3日 花曇 家内が「ハイキングクラブやまなみ」主催の4月月例会@に参加  コースはJR山科駅‥山科疏水‥安朱橋‥
 
毘沙門堂‥琵琶湖疏水‥小関越え‥三井寺‥琵琶湖疏水‥JR大津京駅 歩行距離12キロ 毘沙門堂では白拍子さながらの舞もあり 
 
☆写真撮影はすべて家内です☆

山科疏水と琵琶湖疏水
山科疏水と琵琶湖疏水
このあたりは山科疏水と琵琶湖疏水の分岐点。ソメイヨシノもアブラナも満開。アブラナのそばを通ると、
菜種油ふうの独特のにおいがしたそうです。
 
 
琵琶湖疏水
琵琶湖疏水
 
 
毘沙門堂 本殿
毘沙門堂 本殿
毘沙門堂(京都市山科区安朱稲荷山町)は山科駅から1.4キロ。山科駅の北にある山科疏水と琵琶湖疏水の分岐点に
架かる安朱橋をわたってさらに北へ600メートル行くと毘沙門堂に到着。駅から遠くないので毘沙門堂のみを拝観する人もいる。
 
毘沙門堂は文武天皇(在位697〜707)の勅願により行基が707年に開基したという。
 
 
毘沙門堂 宸殿 毘沙門しだれ
毘沙門堂 宸殿 毘沙門しだれ
毘沙門堂の宸殿前に咲くしだれ桜は「毘沙門しだれ」といい、枝は直径30メートルに及ぶ。
1655年の再興時に植えられ、現在のしだれ桜は五代目といい、高さは約10メートル。
毘沙門しだれはいわゆる左近の桜である。
 
 
I毘沙門堂 宸殿 しだれ桜
I毘沙門堂 宸殿 しだれ桜
白拍子ふうの女性が舞う。しだれ桜の開花はソメイヨシノより遅く、4月3日午前は四分〜五分咲きといったところ。
4月4日夕刻、毘沙門堂に問い合わせたら、きのうの夕方には七分、きょう午後には九分まで咲いたという。
桜はある程度までいくと、気温が上がれば一気に咲く。
 
毎年4月3日〜4月10日ごろ「観桜会」がおこなわれる。ことしは4月3日におこなわれ、舞を撮影できた。
「観桜会」は「かんおうえ」と呼ぶが、参拝客が押し寄せることから「かんおうかい」と呼んでも差し支えないそうだ。
 
 
毘沙門堂 宸殿
毘沙門堂 宸殿
 
 
琵琶湖疏水
琵琶湖疏水
 
 
琵琶湖疏水
琵琶湖疏水
 
 
琵琶湖疏水 対岸の桜
琵琶湖疏水 対岸の桜
 
 
三井寺
三井寺
三井寺(園城寺)は大津市園城寺町にあり、観音堂は西国三十三所の第十四番札所。
 
琵琶湖疏水は三井寺あたりからはじまる。
 
 
三井寺 琵琶湖をのぞむ
三井寺 琵琶湖をのぞむ
周知のとおり三井寺は園城寺とも呼ばれている。
 
天智天皇は667年に飛鳥から近江に遷都(大津京)するが、天智帝の死(671年)の1年後、大海人皇子と大友皇子
が皇位継承をめぐって争う(壬申の乱)。672年ふたたび飛鳥に遷都され、大津京はわずか5年で廃される。
 
敗者となった大友皇子の子・大友与太王は父の御霊慰撫として一寺を寄進する。
天武天皇(大海人皇子)の勅願によって「園城」の名を賜ったことが園城寺の由来とされる。
 
 
三井寺 金堂
三井寺 金堂
三井寺再興は秀吉の遺志といわれ、金堂(国宝)は秀吉死の一年後1599年、高台院により再建される。
 
 
 
三井寺
三井寺
 
 
三井寺
三井寺
三井寺 三重塔(重文)
三井寺 三重塔(重文)
三井寺の三重塔は1597年、豊臣秀吉が大和・比蘇寺から伏見城に移築され、1602年、家康が三井寺に寄進したという。
 
 
三井寺 三重塔
三井寺 三重塔
 
 
三井寺
三井寺
三井寺 三重塔
三井寺 三重塔
三井寺 鐘楼
三井寺 鐘楼
三井寺の鐘楼は三井の晩鐘と呼ばれ、近江八景のひとつ。1602年につくられ重要文化財。
 
 
三井寺 仁王門(重文)
三井寺 仁王門(重文)
 
 
三井寺 仁王門
三井寺 仁王門
 
 
琵琶湖疏水
琵琶湖疏水
 
 
琵琶湖疏水
琵琶湖疏水
琵琶湖疏水は東京遷都後の京都が起死回生の策として交通&産業の二面から計画した大事業である。
 
「京都故事物語」(奈良本辰也著)によると、「大学を出たばかりの青年技師田辺朔郎がこの大事業の設計者で、
当時の技術水準でその可能性を信じた者は一人もいない。しかし京都が第二の奈良にならないためには大勇断が
 必要であった。それは明治18年に始まって、5年の歳月をついやし、明治23年に完成した。
 
 
琵琶湖疏水
琵琶湖疏水
「琵琶湖の水を三井寺あたりから導いて蹴上に出、そこから一方は南禅寺、一方は動物園へと切っておとして
伏見につなぐという大水路なのであった。世界で二番目に早いという水力発電所もこのときにつくられた。
蹴上から動物園への水位の落差が利用されたのだ。」(前掲書)
 
 
琵琶湖疏水
琵琶湖疏水
 
 
 
 
琵琶湖疏水
琵琶湖疏水