2019年4月4日午後、気温17℃。京都市伏見区中島鳥羽離宮町の城南宮、伏見区竹田浄菩提院町の白河天皇陵、鳥羽天皇陵、
伏見区竹田中内畑町の安楽寿院、右京区花園扇野町の法金剛院&待賢門院陵、上京区今出川寺町通の本満寺、そして京都御苑。
 
12:45〜18:30の約6時間半、途中、車内でおやつを食べ(阿弥陀寺駐車場)、京都御苑見学前に40分コーヒーブレイクし、
ついでに6月下旬宿泊予定の私以外の3名の名前を告げ、エレベーターからできるだけ離れた部屋をリクエストするなどして、
それでも南北に散らばる上記の寺社、御陵を見学できたのは、西大路、丸太町通など主要道路と市内の小路が空いていたから。
 
京都御苑散策は午後6時ごろから約30分。近衛邸跡のしだれ桜は見ごろを過ぎていたけれど、夕闇せまる御苑は人影も少なく、
名残の桜を静かに観賞しました。夕暮の御所(御苑内)は真夜中ほど幽艶でも深閑でもないのですが、まずまず。深夜の御所は最高。
 
城南宮
城南宮
 
城南宮は国道1号線に沿って阪神高速8号京都線とのあいだ、名神高速道路・京都南ICのすぐそばに位置。
いままで参詣したことがなく、今回が初めて。
 
城南宮は平安京遷都のさい、国の安泰と都の守護を願い創建されたといいます。平安末期、城南宮を取り囲むように
鳥羽離宮が築かれ院政の拠点となるのです。
 
城南宮
城南宮
 
 
城南宮
城南宮
 
 
 
城南宮
城南宮
 
 
城南宮 馬酔木
城南宮 馬酔木
 
 
城南宮 三角燈籠
城南宮 三角燈籠
 
 
城南宮 黒椿
城南宮 黒椿
 
黒ツバキという名の珍種?
 
城南宮
城南宮
 
城南宮駐車場に車を駐め、白河天皇陵、鳥羽天皇陵へ。
 
 
白河天皇 御陵
白河天皇 御陵
 
 
白河天皇 御陵
白河天皇 御陵
 
平安末期、白河天皇(1053−1129)は法皇となって院政最盛期を迎えます。
 
「あっち向いてほい(下のバナー)・西行の時代」に白河法皇関連文章あり。
 
阪神高速 8号京都線
阪神高速 8号京都線
 
白河天皇御陵は阪神高速8号京都線の城南北ICのそばに位置。周囲の景観はよくない。
 
阪神高速下の道路は油小路通で、北(左側)に行くと、九条通との交差点から先は名前が堀川通となる。
 
 
鳥羽天皇 御陵
鳥羽天皇 御陵
 
鳥羽天皇(1103−1156)は白河天皇の御孫。
 
鳥羽天皇 御陵
鳥羽天皇 御陵
 
 
 
安楽寿院への小道
安楽寿院への小道
 
 
安楽寿院への小道
安楽寿院への小道
 
安楽寿院前の桜並木を紹介しているガイドブックは国内外に見当たらず、大手メディアで紹介されたという話も知らない。
花見に来る人はほとんど近場から。観光客もチャイニーズもいないので、静かに春を惜しむことができます。
 
 
 
安楽寿院への小道
安楽寿院への小道
 
 
安楽寿院の小道
安楽寿院の小道
 
 
安楽寿院の小道
安楽寿院の小道
 
 
安楽寿院の小道
安楽寿院の小道
 
 
安楽寿院の小道
安楽寿院の小道
 
 
鳥羽離宮跡 案内図 安楽寿院前
鳥羽離宮跡 案内図 安楽寿院前
 
鳥羽離宮は東西1500メートル、南北1000メートルあったといいます。京都御所や仙洞御所のある京都御苑が
南北約1300メートル、東西約700メートル。鳥羽離宮は当時の鴨川と桂川のあいだにありました。
 
豊臣秀吉は都の河川の洪水を防ぐため鴨川の流れを変え、堤防を築き、こんにちに至っています。
 
鳥羽離宮案内図
鳥羽離宮案内図
 
 
鳥羽離宮跡 掲示板
鳥羽離宮跡 掲示板
 
 
安楽寿院
安楽寿院
 
1137年、鳥羽上皇(1103−1156)が鳥羽離宮の東殿に鳥羽御堂を建立されたのが安楽寿院の始まりです。
1139年、上皇は自らの墓所として三重塔を建て、阿弥陀如来坐像(重文)を本尊とします。
 
上皇の追善法要を司っていた安楽寿院に対して各地の荘園が寄進され、皇室経済の一助となります。
 
安楽寿院前
安楽寿院前
 
 
安楽寿院の小道
安楽寿院の小道
 
 
安楽寿院の小道
安楽寿院の小道
 
 
安楽寿院
安楽寿院
 
 
安楽寿院の小道
安楽寿院の小道
 
 
安楽寿院
安楽寿院
 
 
安楽寿院の小道
安楽寿院の小道
 
自転車の女性は近場からやって来たような雰囲気。
 
安楽寿院の小道
安楽寿院の小道
 
最前列の男性は若い営業マン。桜並木には目もくれず、まっすぐ前を見て歩いていました。
小道で出会ったのはそのほか数名だけです。
 
安楽寿院の小道
安楽寿院の小道
 
 
 
法金剛院
法金剛院
 
 
法金剛院 レンギョウ
法金剛院 レンギョウ
 
 
法金剛院
法金剛院
 
 
 
法金剛院
法金剛院
 
 
法金剛院
法金剛院
 
 
法金剛院
法金剛院
 
 
 
待賢門院 御陵入口
待賢門院 御陵入口
 
「鳥羽天皇皇后 璋子」花園西陵と記された案内板。
璋子は藤原璋子(1101−1145)。鳥羽天皇の中宮。鳥羽天皇が上皇になって後、待賢門院の称号をあたえられました。 
 
璋子(たまこ)は52歳年上の白河法皇のあつい寵愛をうけ、白河帝との間に一子(後の崇徳天皇)を産んだとされています。
鳥羽天皇はその子を叔父子(崇徳天皇は鳥羽天皇の父・堀河天皇の弟にあたる)と呼んでいました。
 
待賢門院 御陵
待賢門院 御陵
 
ゆるやかな上り坂を右に曲がると御陵。平安末期の白河法皇、鳥羽天皇、待賢門院璋子ゆかりの地を
探訪するショートトリップ(本満寺を除いて)。桜の時季、桜も刻(とき)も待ってくれません。
 
 
待賢門院 御陵
待賢門院 御陵
 
坂道の途中に古井戸とヤツデ。
 
待賢門院 御陵
待賢門院 御陵
 
数年ぶりのお詣り。
 
 
阿弥陀寺
阿弥陀寺
 
 
本満寺 しだれ桜
本満寺 しだれ桜
 
昨年(2018)は3月中旬以降ポカポカ陽気が続き、特に3月28日、29日は26℃の夏日。3月25日前後が見ごろだった
しだれ桜は散って葉桜。ことしは3月下旬〜4月初旬の気温が低く、4月4日満開の桜をみることができました。
 
「京都人の密かな愉しみ」2017年5月放送「逢瀬の桜」の冒頭に登場するしだれ桜。
 
本満寺 しだれ桜
本満寺 しだれ桜
 
 
本満寺 しだれ桜
本満寺 しだれ桜
 
 
本満寺 しだれ桜
本満寺 しだれ桜
 
 
本満寺 しだれ桜
本満寺 しだれ桜
 
 
本満寺 しだれ桜
本満寺 しだれ桜
 
しだれ桜の曲がりくねった枝ぶりを見て思うのは、数匹以上の雌雄の蛇が八方に這い、からみ合うさまです。
花は美しく、枝はそうでもなく。みかけと生態が異なる生きものはどこにもいる。
 
本満寺 しだれ桜
本満寺 しだれ桜
 
 
京都御苑 近衛邸跡 しだれ桜
京都御苑 近衛邸跡 しだれ桜
 
 
京都御苑
京都御苑
 
人影まばら。といっても残っている人は残っています。夕暮どきのうら寂しい時間に桜をみる。花はひときわ幽艶。
 
京都御苑
京都御苑
 
近年、ウェディングドレスを着て桜の名所で記念撮影するチャイニーズが増えています。2016年4月6日の背割堤でも
そういうチャイニーズを見ました。花嫁がぶさいく。正面撮影は避け遠方から横顔を撮影。
 
京都御苑
京都御苑
 
 
京都御苑
京都御苑
 
 
京都御苑
京都御苑
 
 
京都御苑
京都御苑
 
日暮れてひっそり咲いている花。風情があります。
 
京都御苑
京都御苑