2014年5月24日午後1時半〜午後3時20分 気温30℃ 京都市左京区一乗寺竹ノ内町の曼殊院と
左京区鹿ヶ谷御所ノ段町の安楽寺 第10回庭園班OB会の前に友と拝観
 
曼殊院
 
 
 
安楽寺
安楽寺
 
これより安楽寺
 
2002年11月から12月にかけてNHK時代劇ドラマ「はんなり菊太郎」が放送された。
その第三回目「ほんまの母」(11月22日)で内藤剛志と田中邦衛が石段に座って話をするシーンが。
ステキなところと記憶に残っていたけれど、後になって安楽寺だとわかった。
 
安楽寺
安楽寺
 
法然ゆかりの安楽寺。法然から受戒をほどこされたのは高倉天皇、平重衡で、とりわけ重衡は一ノ谷合戦の
あと鎌倉に送られるが、東大寺など南都の強い要請で鎌倉を出立、東大寺の使者に引き渡される。
 
重衡は木津で斬首される前に法然と会い受戒。重衡の妻輔子には子がなく、輔子は重衡の亡骸を引き取り、
さらし首にされた首も南都からもらい受け荼毘に付した。その後、輔子は大原の建礼門院に仕えたという。
 
 
上2枚の画像の逆方向から撮影
安楽寺は特別公開日のほかは非公開。たまたま5月24、25日が公開日。
 
 
後白河法皇、九条兼実も法然を先達と仰いでいて、南都北嶺の旧仏教界は法然を警戒した
(それが後の建永の弾圧につながってゆく)。
1204年には延暦寺が、翌年には興福寺が圧力をかけ、念仏の停止を後鳥羽上皇に訴えた。
法然はそれらをどうにかきり抜けはしたけれど、建永元年(1206)、事はおきる。
 
 
安楽寺内の喫茶室。ここだけの話、見るべきものは喫茶室と山門だけ。
 
法然の弟子・住蓮房と安楽房は美声ということで宮中の女性に人気があった。美しい声の説法は女性をあらぬ方向に
駆り立てる。女性ふたりが東山の草庵で剃髪、尼になってしまう。彼女らがふつうの女なら問題はなかったのだが、
好事魔多し、ふたりとも後鳥羽上皇の寵妃で、おまけに上皇が熊野詣の最中の出来事だった。
 
頭に火を飛ばして怒り狂った上皇、住蓮房・安楽房の首をはね、法然を土佐に流した。法然の弟子のひとり親鸞も連座
ということになって越後配流となる。いわゆる建永の法難である。
 
 
安楽寺従業員の話では、夜間ここでイベントがおこなわれることもあるという。
非公開の日々が続いて利用されず遊ばせておくのはもったいない。
 
 
左端の見知らぬ女性、なぜ枠内に入ったのか、なぜ笑っているのか、まったくわからない。
 
斬首されたとき住蓮房は頭から光を発し、地に落ちた首が念仏を十遍となえたといい、安楽房も頭が落ちてからも
合掌して念仏をくったといわれている。
 
鹿ヶ谷の入口北に住蓮山安楽寺はある。すなわちこれが住蓮房安楽房のすまいのあとらしい。
 
 
さっきの女性、これが化けたのかもしれない。体型は異なるけれど。
 
 
右端の足は外国からの旅行者。
 
 
何事もご縁だす。縁さえあればなんとかなります。カネもなく、人望もなく、
縁もなければ人は集まりまへん。なむあみだぶつ。