山門付近より根本中院をのぞむ |
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志明院は標高450メートルだが、3倍の標高かと思えるほど涼しい。この日午後、京都市内は32℃。
志明院駐車場で車の室外気温計は23℃を示していた。
JR京都駅から北へ約20キロ(走行距離)のところにこのような別天地があるとは。
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石段より山門をのぞむ |
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猛暑を逃れて涼を求めるにはうってつけの場所。どれほど涼しいか、行けば誰にでもわかります。
山門は室町期に建てられたそうです。
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根本中院(本堂) |
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カメラのレンズがくもっているのではなく、山懐に抱かれた地形のせいか日中も霞がたなびき、
涼しさの一因となっている。
夏場、琉球からアカショウビンが渡ってくるという。別名「火の鳥」、あざやかな赤のアカショウビン
が出てきたらと木立の上を時々注視したけれど、この日は残念ながらお目にかかれなかった。
住職の奥さまが言っておられた。「あざやかな朱色できれいですよ」。
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鴨川源流の清冽な水を守るために過去さまざまな努力が惜しみなくなされた。
志明院の自然植生(岩峰植生など)は京都市指定の天然記念物であり、一部専門家の間で高く評価されている。
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ここからは歌舞伎「鳴神」の世界である。「鳴神不動北山桜」の北山が如実に示しているように
岩屋山志明院がその舞台。
鳴神上人をやるにあたって志明院を訪れる歌舞伎役者もいる。南座で「鳴神」をやるときは
大道具が舞台設定の確認と楽日までの25日間の無事を願って訪れることもある。
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渡辺保の歌舞伎手帖によると、『時の天皇が鳴神上人に皇子誕生の祈願を依頼した。もし皇子が
誕生すれば、上人のために北山に戒壇を作ってやるという条件である。ところが皇子が誕生したにも
かかわらず、天皇はその約束を果たさない。
天皇を恨んだ上人は、行法によって北山の瀧壺に八大龍王を封じ込め、天下に雨を一滴も降らさない。
国土は乾き、干ばつに民百姓が悩む結果となった。
そこで天皇は内裏一の美女・雲絶間姫(くものたえまのひめ)を北山の岩屋におくり込む。』
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鳴神上人は雲絶間姫に警戒しつつも姫の恋物語に心奪われ、その美しさに惑わされ行法を破ってしまう。
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鳴神上人を酒で酔わせた雲絶間姫は、上人が熟睡している間に滝の上にかかっているしめ縄を切り、
八大龍王を解き放つと、たちまちザァーと雨が降ってくる。歌舞伎は本水を使う。
岩屋山の名はこの巨岩に由来するのかもしれません。
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鳴神上人をやった歌舞伎役者は、片岡仁左衛門、市川團十郎、坂東三津五郎、
市川海老蔵など錚々たる顔ぶれ。いずれも甲乙つけがたい。
美女にまんまとだまされ激怒するという役づくりはさほど難しくないのかもしれない。、
鳴神上人は品格がなければならない。時代が世話にくだけるという変化に役者の工夫がある。
雲絶間姫は品があって凜とした風情、途中から色気の立ちのぼる役。
最初から色気むんむんでは下心を見透かされる。
上人も酒を飲むあたりから男の色気を目で表現。仁左衛門、團十郎、三津五郎はうまかった。
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橋桁の上にあるのが下の画像↓
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11月の紅葉、5月のシャクナゲも美しいという。その時期はまだ行っていない。今秋、来春の楽しみということで。
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修験道の象徴、そびえ立つ岩。厳しさよりむしろ気高さ、すがすがしさを感じる。
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夏期、参拝する人はきわめて少ない。運がよければ、その時間帯貸切ということも。
そうなれば志明院の静謐、荘厳を十分に堪能できる。
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時間が経っても霞のような靄のようなひんやりした水蒸気があたりを覆っていた。
地面から立ちのぼるのか、木々が発散するのか、両方なのか、飽和状態になった霞のせいか、
天から降りてきたのか。
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鬱蒼として神秘的なのに気取らず、来る人を包み込む。それが志明院です。
夜は精霊と語り合うこともできるような気がします。
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高野川の上流・雲ヶ畑の志明院を訪れ、心洗われた夏の日。
私たちの上の世代は「命の洗濯」といっていた。
雲ヶ畑の奥裾・持越峠について次のような話があります。
「雲ヶ畑地区は鴨川の源流でっしゃろ。禊をする上賀茂神社や下賀茂神社へ流れ込んでますやん。
御所にかて流れるわけですわな。そやし、雲ヶ畑では人が亡くならはったらそこでは焼かず、
持越峠の上で焼いたそうですわ。」(菊池昌治著「京都転転」)
しかし、いつのころからか、おそらく昭和30年代であると思われますが、焼場はなくなった。
当時の志明院住職であろう和尚さんが回向され、雲ヶ畑の住民がおまいりしたという。
その後は京都市営の焼場。
持越峠は鴨川の分水嶺であり、「聖なる鴨川を汚さぬために、土地の人々は分水嶺を
わずかに越えた地で、死者を天に帰したのである。」(前掲書)
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志明院を訪れた著名人は多い。シラク元大統領から林望まで。
歌舞伎好きで、「鳴神」の舞台を見たいということが来訪の動機
だろうけれど、写真では伝わらない、何かがあります。
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