2015年6月4日午後4時〜午後5時半 京都府木津川市加茂町の浄瑠璃寺から岩船寺へ至る当尾・石仏の道
前日の雨もあがり好天 気温22℃ 空気も乾いて風が通りぬけ 日陰はひんやりする絶好のウォーキング日和
わが家から車で60分あれば奈良市街 市街から浄瑠璃寺まで15分 浄瑠璃寺から京都駅まで約50分 夕食は京都で
 
浄瑠璃寺前バス停を岩船寺方面へ300メートル歩いて、橋のところで斜め右に曲がる。道しるべがあるからだいじょうぶ。
 
 
石仏のみなさん、いいぐあいの木陰になっていて、夏でも涼しく、日焼けすることもないでしょう。
解説は立て看板を参照してください。
 
 
過去に4回、前回は25年前に歩きました。浄瑠璃寺、岩船寺に来ても、石仏の道を歩くのは久しぶり。
逆に今回は浄瑠璃寺も岩船寺も拝観せず、歩きにきただけです。今回は家内と別行動。
 
あたご灯籠
あたご灯籠
 
周山街道、清滝で知られる愛宕山の山道を通る人たちが、火の用心を祈願し作ったという石灯籠があり、
その石灯籠に似たものをということで作ったそうです(長方形の切り込み部分にロウソクを立てる)。
 
道しるべ
道しるべ
 
道路標識とか道しるべが目に入ると安心します。というのも、初めて通る道をレンタカーで旅すると、道路標識のあるなしで
疲労の度合いが違うから。たくさんあればほとんど疲れはこないし、少ないと疲れます。
そりゃいまはカーナビという便利なものがあるからいいようなものの、14、5年前はカーナビ装備のレンタカーは皆無でした。
 
が、カーナビなしで気にしなくてもいい国があります。短い距離の間にも至るところに標識があって、これが本当の至れり尽くせり。
英国です。カーナビ画面の英語の字面を見るより大きな標識に大きな文字で書かれた地名を見るほうが楽、中高年には。
パブリック・フットパスを歩いていても、これでもかといわんばかりに「道しるべ」があり、英国で道しるべのファンになりました。
 
ながおのあみだ
ながおのあみだ
 
この方たちも夏は涼しく過ごせます。
 
ながおのあみだ
ながおのあみだ
田植え
田植え
 
この田んぼ、田植えはこれから。当尾の読み方は「とうの」と「とおの」の二通りあるようで、国語学者でも
歴史学者でも学校の先生でもない小生にはどうでもよろしい。
自説を言い張るために目くじら立てることもなし。土地の人は「とおの」、木津川市は「とうの」といっている。
 
 
石仏の道のいいところは道しるべの多いこと。三叉路はもちろん、そうでない場所にも道しるべはあり、迷いたくても迷いません。
25年行かないうちにずいぶん道しるべが増えました。
 
からす(唐臼)の壺
からす(唐臼)の壺
 
唐臼なのに「からす」と読むのはよくある省略形でしょう。真ん中付近に穴のあいた礎石は唐の臼に似ているといいますが、
唐か支那か判別しがたい臼がどのようなものか知らないので、なんとも説明に窮します。
 
 
もう一度学生時代の「同好会」に入るとすれば「道しるべ」同好会に入会するでしょう。
 
道しるべ「研究会」ならノーサンキュー。頭がかたく融通のきかない先輩後輩もいるし、自由度がせばまる気もします。
 
緑陰
緑陰
 
歩くことが快適であり、ある種の快楽。ウォーキングはやめられません。
 
緑陰
緑陰
緑陰
緑陰
 
足に問題がなければ、誰でも歩ける道のりと高低差。ここは自然にまかせて、小道を平にしなかったのがよかった。
 
 
見てのとおり、こんもりした森の小山。これが、下の田んぼに当たる日照時間や日の強さを加減して、
うまい米を作るのでしょうね。
 
 
 
うしろの小山が影を落としています。田んぼのなかの空と林。ここは田植えも終わっているようで。
 
わらいぼとけ
わらいぼとけ
 
斜面で斜めに傾いて笑っている。人生の極意さながらに。
 
わらい仏と呼ばれる阿弥陀三尊磨崖像は、銘文を読むと岩船寺の僧侶が造仏したとなっている。
わらいぼとけ
わらいぼとけ
わらいぼとけ
わらいぼとけ
 
カメラを少し右上がりにして撮影したけれど、やはり元の自然な斜めのほうがいいわ。
 
わらいぼとけ
わらいぼとけ
 
 
 
ワォ〜、いい感じ、と声をあげたい気分の木々。いいタイミングでウグイスがいい声あげて、気分爽快。
 
緑陰
緑陰
 
こういう緑陰があると、かりに真夏に歩いても涼感をもたらしてくれるかもしれません。
 
掲示板
掲示板
 
思索の小道とでもいいたくなるような道です。
 
 
うしろの小山の木々と葉が田んぼに映っています。
 
みろくまがいぶつ
みろくまがいぶつ
 
みろくの辻「まがいぶつ」(弥勒仏線彫磨崖像)は、村井康彦著「京の古寺 歴史探訪」によると、
「願主永清が、亡父の往生を願い、造仏の功徳を以てあまねく一切の衆生に及ぼし、
我等と衆生、みな共に仏道を成さんと記し、広範囲の功徳を願ったもので、造像の意図が
最も明確に語られている事例である」という。
 
僧籍にある者同士の法話ならいざ知らず、衆生というのは主に村人のことかと思われ、
13世紀後半、仏教信仰が村々に浸透しているかどうか定かではないころ、「みな共に仏道成さん」
が通用したのだろうか。
 
畑
 
小売値がようやく落ち着いたキャベツがいっぱい。
 
畑
 
畑は小道のず〜と下にあります。
 
廃屋
廃屋
 
岩船寺駐車場前の廃屋屋根に植物が生えています。
 
 
お天気もよかったけれど、道中だれにも会わなかったのが一番よかったし、貴重。まったくの貸切りでした。
 
 
石仏の道 案内図
石仏の道 案内図