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京都御苑は東西約700m 南北約1300mのほぼ長方形 92haの面積(京都御所 仙洞御所 大宮御所を含む)
苑内最北部の近衛邸跡にはしだれ桜が何本も植えられていて、時季到来ともなれば華麗に咲きほこる。
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ほぼ実物大のモモの実。ひとつつまんでかじったところ、ちゃんとモモの味がしました。
京都御苑の管理は環境省。こんなことを書くと何かいってきたりして。
苑内にある京都御所、大宮御所、仙洞御所は宮内庁、2005年4月に完成した京都迎賓館は内閣府が管理。
いずれにしても税金が投入されている。
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ウメの実は見るからにおいしくなさそうだったので、試食せず。
近くに蛤御門があり、蛤御門の前、烏丸通りをわたるとホテルがあって、ホテルの日替わりランチは1000円でコーヒー付。
ランチにはおかわり自由の生野菜も付いている。金沢の新聞社に勤務する友人と昨秋ランチを食したら、
家内が生野菜をあまり食べない(買わない)から、こういうときに補給しておこうとつぶやきながらおかわりしていた。
「生野菜を食べたいから買ってきてくれないか」と言えばすむことでしょうに、恐妻家は言えないのかね。
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このエノキ、樹高は26mある。苑内には樹高30mのケヤキ、29mのイチョウなど高木の目白押し。
ほかにもクスノキ、クロマツなどの巨木、ウメ、モモ、サクラ、サルスベリ、カエデなど約5万本の樹木が植えられている。
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この方のランチは食べ放題。
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九条家の祖は「玉葉」(40年間書き綴った日記)で知られる九条兼実。
九条家は平安末期の関白藤原忠通の六男兼実が九条弟を構えたことで家名となった。
屋敷は明治2年(1869)東京遷都により取り壊されたが、拾翠亭と池、鎮守社のみ残る。
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環境省が管理しているということで、参観料は100円。
木、金、土、および葵祭、時代祭当日、春秋の御所特別公開日に参観可。 09:30−15:30
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拾翠亭は九条家の離れ、茶室であった。外周りには縁高欄という手摺りが施され、屋根の形は入母屋造。約40坪。
柿葺と瓦葺とが組み合わされ、簡素でありながら粋な風合いをかもしだしている。
現在の拾翠亭は寛政年間(1789−1801)に建てられ、書院風数寄屋造。
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拾翠の名には緑の草花を拾い集めるという意味が込められていて、平安期やんごとなき人々が春の野辺に出て、
草花摘みに興じたところから命名されたという。そして翠の字は美しいみどり色のカワセミの意で、何羽ものカワセミが
池に飛来したことから拾翠と名づけられたともいわれている。
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池は勾玉池(まがたまのいけ)と呼ばれ、九條池とも呼ぶ。
池に面した主室には広縁が設けられ、釣殿(寝殿造の)ふうとなっていて、茶会、歌会に使われたとみられる。
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高倉橋が見える。
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手前の女性二人は午後3時半の閉門間際(3時25分)に来た。
それはまあいいとして、奥のほうで寝そべっている男性、40分ほど同じところに寝そべっていた。
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閑院宮邸跡の門をくぐると左に見えるのがこれ。勝手に登ることはできないけれど、3〜4歳児なら登らずにはおれない小さな丘。
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閑院宮邸跡の参観は無料。
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閑院宮家は江戸時代の四親王家のひとつ。119代光格天皇は閑院宮家から皇統を継いだ。
南棟は入母屋造の外観が気品を保っている。
南棟は資料館として展示、収納のため平成の改修もおこなわれ、そのとき柱や部材の一部に大工の記した
番付、あるいは埋木などが見つかったという。
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閑院宮邸は京都迎賓館の建設に伴い存続が危ぶまれたこともあったが、幸いにも保存が決定された。
北棟の鬼瓦に寛政3年、南棟の獅子口に安政の年号がみつかるなど、建物の風格をみても江戸期の閑院宮邸の遺構に
ちがいないと判断されたことや、存続の成否を議論する委員会で、明治16年に宮内庁の支庁がここに設けられたとの
記録があり、そうした事実が存続を決定づけたとみられる。
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室内は角柱に長押(なげし=水平方向に柱と柱をつなぐ木材)をめぐらせ、漆喰の小壁、竿縁天井の簡素な書院造。
長押と天井とのあいだの小壁は白壁。
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中庭を囲んでガラス越しにみえるのは西棟。前面に広縁、中央に階段を設けている。
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西棟から中庭を隔てた建物は校舎のようにもみえる。
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地図の京都御所の左右(東西)に駐車場があり、そこから拾翠亭まで徒歩10分弱。
地図で見ると近いようにも感じますが、意外と遠い。
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上の「京都御苑案内図」の最上部左に「近衛邸跡」の表示があります。4月上旬に満開となるしだれ桜は見事。
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京都御苑散策後、会食まで時間があったので嵯峨野を散策した。
午後6時過ぎの嵯峨野は人もまばらで散策にはうってつけ。
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午後6時までの人出がウソのよう。静かなものです。
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ここも気味わるいくらいの静寂。
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