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和中庵は近江五箇荘出身の藤井彦四郎(1876−1956)が大文字山のすそ野、法然院、安楽寺、
霊鑑寺につづく鹿ヶ谷桜谷町の土地1万数千坪を大正15年(1926)に購入し、2年かけて
つくりあげた和洋折衷の邸宅。和中庵の名には何事にも偏らず公平にとの思いが込められているといいます。
ユージニア館のユージニアの名の由来はシスターユージニア・レイカーという女性で、
ノートルダム女学院中学高校の初代校長です。ユージニア館の改修工事が完了したのは2015年4月25日。
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昭和23年(1948)当時、和中庵は空き家となっていて、同年11月に米国セントルイスより
来日したノートルダム教育修道女会のシスター4人が藤井彦四郎と出会ったところ、
「戦後数年たって私たちにはこんな大きい家は必要ない、ご自由にお使いください」との
藤井氏のすすめもあってノートルダム教育修道女会が購入するに至りました。
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ノートルダム女学院初代校長シスター・ユージニアの学院創立精神は、「海外文化の優れたところを取り入れると
同時に日本の良いものを大切にするしなやかさを備えた女性になってほしい」です。
ノートルダム女学院中学校は1952年、高校は1953年創立。
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色ガラスを使わず室外の自然の色が窓ガラスに反映されることで美を演出。やさしく落ち着いた色です。
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木造2階建て瓦葺き。外壁はモルタル。
和中庵洋館はかつてノートルダム教育修道女会の修道院だったものを、2008年に学校法人ノートルダム女学院に
移管されました。ユージニア館の改修工事が2015年4月25日完了したのにつづいて洋館の改修工事を着手、
2015年9月5日に完成。
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ガラス窓に微妙な緑が映っています。
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和中庵で一番美しいのはこれかもしれません。
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ノートルダム女学院中学高校の方角を見ています。
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少し開いたガラス窓の向こうに霊鑑寺が見えます。
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和中庵洋館と和建築の母屋をつないでいる渡り廊下から撮影。
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改修された母屋は2階建て入母屋造。
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意匠、造形ともにすっきりし衒いもなく、親しみやすい。こういう環境の書斎で読書や執筆にはげめれば。
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母屋の畳は10畳×2室、12.5畳×1室。
蒸し暑さはそうとうなもので、座っていても汗が噴きだしてきました。
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左の校舎はキャロライン館。
名前の由来は米国ノートルダム教育修道女会の最初の責任者マザー・キャロライン・フリス(1824−92)。
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ノートルダム女学院(中学&高校)の正門横にサルスベリの巨木がありました。
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平安末期、僧俊寛が登場する鹿ヶ谷の陰謀が密議された「鹿ヶ谷山荘」は地図右側のあたり。
和中庵は「谷の御所霊鑑寺」と「ノートルダム女学院高」の間に位置します。
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