2016年5月12日午後1〜2時過ぎ過ぎ。京都市内の気温28℃。日なたは30℃をこえていました。
京都市北区上賀茂界隈を往路は上賀茂神社から大田神社に向かって散策。帰路は逆コース。
 
「曲水の宴」は各地で催されます。上賀茂神社の曲水の宴は4月上旬。川のふちに座り、流れてくる盃が
通り過ぎる前に和歌を詠み、盃の酒を飲んで次ぎにまわすという行事。テレビでみていると盃に酒が
入っているかどうかわからず、笹の舟らしきものしか見えません。
 
 
日なたは暑いけれど、川辺の日陰にいると涼しく、少しのあいだ昼涼み。
 
 
 
 
 
 
 
大田神社 大田ノ沢(カキツバタ苑)
大田神社 大田ノ沢(カキツバタ苑)
 
大田神社は上賀茂神社の摂社(本社に付属し、祭神と縁の深い神を祀る社)で、
長寿、芸能、縁結びの神さまで知られています。
 
大田神社 大田ノ沢
大田神社 大田ノ沢
 
大田ノ沢の面積は約1000u。その昔は大湿原だったそうです。
 
神山や 大田の沢のかきつばた ふかきたのみは色にみゆらむ  藤原俊成
 
紫一色のカキツバタを縁結びの神にかけて、ふた心のない思いを詠んでいます。
 
大田ノ沢
大田ノ沢
 
 
鹿よけネット
鹿よけネット
 
裏山(俊成卿が神山と詠んだ山)にはシカが住み、夜な夜な(野生のシカは夜行性)降りてきては
カキツバタを食う。それでシカよけネットを設置しています。
ところがシカはネットを迂回して食いにくる。近年、カキツバタの花は減少傾向を強めているとか。
 
大田ノ沢
大田ノ沢
カキツバタ  大田ノ沢
カキツバタ  大田ノ沢
 
 
大田ノ沢
大田ノ沢
 
 
帰路 上賀茂界隈
帰路 上賀茂界隈
上賀茂神社境内
上賀茂神社境内
上賀茂神社境内
上賀茂神社境内
 
 
 
 
上賀茂神社 二の鳥居
上賀茂神社 二の鳥居
 
 
二の鳥居 葵祭の3日前 葵の葉っぱ
二の鳥居 葵祭の3日前 葵の葉っぱ
 
下鴨神社、上賀茂神社への歴代天皇の行幸は60回をこえており、両社の特別な地位をうかがわせます。
特に意義深かったのは1863年(文久3)3月11日の両賀茂行幸で、天皇の行幸が二百数十年ぶり
だったことに加え、上洛中の徳川家茂を供に従えていました。当時は孝明天皇。
 
家光やその後の将軍時代なら、関白でも将軍の前を黙って通るということはなかったのに、
孝明帝のあとにつづく公卿らは家茂に会釈もせず大手をふって通っていったとか。
家茂の後見職だった徳川慶喜は、「公卿たちは将軍の威信をおとしめたと、ただ喜んでいる」と語っています。
 
それで終わったかと思いきや、家茂の馬が賀茂川にさしかかったとき、ひざまずいて行列を見ていた
人垣のなかに「いよう、征夷大将軍!」と声高にやじった者がいました。
 
供侍が声の方向をにらみつけたけれど、咎めだてもせずそのまま歩を進めたとか。
やじったのは長州から上洛していた高杉晋作だったそうです。
 
上賀茂神社
上賀茂神社
 
 
上賀茂神社 細殿前の立砂(たてずな)
上賀茂神社 細殿前の立砂(たてずな)
 
 
上賀茂神社
上賀茂神社
 
 
上賀茂神社
上賀茂神社
 
緑色の葉の右は葵、左は榊。5月15日の葵祭に向けて上賀茂神社は大わらわ。
 
葵祭のポスター
葵祭のポスター
 
5月15日、葵祭の行列は京都御所〜下鴨神社〜上賀茂神社の順に進みます。
葵祭(賀茂の祭)と、9月15日の石清水祭(石清水八幡宮)、3月13日の春日祭(春日大社)は
「三勅祭」といわれています。勅使が派遣されるからです。
 
上賀茂神社
上賀茂神社
 
 807年ごろに勅祭としての賀茂祭がはじまり、貞観期には現在の葵祭の式次第が
ほぼととのったようで、当時、葵祭は4月の第二の酉の日と定まっていたらしく、
明治維新後5月15日とあらためられたといいます。
 
上賀茂神社 本殿
上賀茂神社 本殿
 
一対の葵。古来から花といえば桜、月といえば中秋の名月、祭といえば葵祭となっていました。
洛中洛外の緑は葵祭を境に濃くなってゆき、梅雨明けのころコンチキチンの祇園祭です。
 
本殿
本殿