下鴨神社、上賀茂神社への歴代天皇の行幸は60回をこえており、両社の特別な地位をうかがわせます。
特に意義深かったのは1863年(文久3)3月11日の両賀茂行幸で、天皇の行幸が二百数十年ぶり
だったことに加え、上洛中の徳川家茂を供に従えていました。当時は孝明天皇。
家光やその後の将軍時代なら、関白でも将軍の前を黙って通るということはなかったのに、
孝明帝のあとにつづく公卿らは家茂に会釈もせず大手をふって通っていったとか。
家茂の後見職だった徳川慶喜は、「公卿たちは将軍の威信をおとしめたと、ただ喜んでいる」と語っています。
それで終わったかと思いきや、家茂の馬が賀茂川にさしかかったとき、ひざまずいて行列を見ていた
人垣のなかに「いよう、征夷大将軍!」と声高にやじった者がいました。
供侍が声の方向をにらみつけたけれど、咎めだてもせずそのまま歩を進めたとか。
やじったのは長州から上洛していた高杉晋作だったそうです。
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