2018年10月14日(日)午後1時、JR奈良駅そばのホテルで待ち合わせた3人は、奈良市白毫寺町の白毫寺を皮切りに
奈良市忍辱山町の円成寺、京都府京田辺市薪里ノ内の酬恩庵を拝観。道路渋滞もなく、お天気にもめぐまれました。
萩 白毫寺
萩 白毫寺
 
白毫寺は春の椿、秋の萩で知られています。混雑回避のため椿満開や萩満開の時期をずらし拝観していました。
毎年おおむね9月末には終わっているのですが、10月14日この部分のみ残っていたのはさいわい。
 
白毫寺 山門
白毫寺 山門
 
HKは初めてということで白毫寺に来ました。10月14日は日曜。午後1時過ぎでしたが、萩の時期が
終わっていたせいか石段も境内も人はまばら。入江泰吉記念写真美術館そばの駐車場も空いていた。
 
白毫寺
白毫寺
 
山門をぬけて受付までの石段両側はいかにも古寺という感じの植栽です。萩の見頃はさぞやと思われます。
行き交う人でタイヘンな混雑でしょう。
 
石段は数えてはいないのですが、そうとうな数です。われわれより年配の方もいらっしゃいます。
いつのまにか二人の前後が逆になっているのは脚力の違い。
 
白毫寺
白毫寺
 
上ってきた甲斐あって奈良盆地の見晴らしがきいています。甘樫丘のように360度ぐるりというわけ
ではないのですが、清々しい眺めです。
 
白毫寺 アサガオ
白毫寺 アサガオ
 
秋の京都奈良でふつうに見かける朝顔です。午後になっても、夕方でも咲いています。
晩秋、鹿ヶ谷あたりの瀟洒な住宅の塀越しに咲く朝顔は、紅葉に対抗するかのごとくで、
ある意味新鮮。
 
 
復路は日ざしが強くなり、かといって涼しい風も吹き、小さな散策に適した秋日和でした。
 
往路の急坂で前屈みになっていた男も復路はしゃきっと腰が伸び、若々しくなりました。
前の女性の足どりは、ひょい、ひょいと軽やか。
 
 
 
円成寺 庭園
円成寺 庭園
 
大和にはまれなる藤原時代の浄土式庭園。
 
HKは円成寺も初拝観。50年前の1968年8月末、合宿自由行動日、私は日吉館から
地道を2時間かけて歩きました(復路も)。
 
その後、別ルートに舗装道が完成、新道は旧道に較べ距離も長く、奈良公園から円成寺方面
へ歩く人はいまも旧道を利用します。
 
 
楼門から庭園をみています。
 
円成寺に向かう道中、HKが「この道を進むとどこへ行くのだ」と聞いた。私と伴侶は同時に「柳生」と
こたえた。話はその先に進まず円成寺に着き、柳生街道の話はしなかった。
 
春日大社から柳生への道約19キロは柳生街道、円成寺から春日大社までの約10キロは
「滝坂の道」と呼ばれ、古くから奈良中心部と柳生の里を結ぶ道として村人や商人がものを運んだりして
行き交う交通の要衝であった。
 
柳生街道および滝坂の道が有名になったのは大河ドラマ「春の坂道」(1971年)の放送を契機とする。前年、
滝坂の道は東海道自然歩道に指定されたが、京阪神在住のハイカーのほかに関心を示した人は少ない。
 
大河で全国に知られるようになり、観光客のなかには現在のチャイニーズのようにマナーのわるい人もいて、
観光業者も一役買い、沿道と柳生の里はスラム化寸前となる。
時の円成寺住職・田畑賢住師が拝観制限に踏み切ったのは。師は「ついでに拝観に立ち寄る方おことわり
」という掲示板を設置した。
 
円成寺 春日堂 白山堂
円成寺 春日堂 白山堂
 
春日堂と白山堂は1228年、春日大社再建のおり、当時の春日大社神主・藤原時定が円成寺に
寄進したといいます。全国の春日造り社殿のなかで最も古く、国宝に指定されています。
 
円成寺 多宝塔
円成寺 多宝塔
 
 
円成寺
円成寺
 
 
酬恩庵
酬恩庵
 
前回、酬恩庵を拝観したのは奇しくも2年前(2016)の10月14日。2年前はことしほど猛暑が長続き
しなかったので、紅葉が始まっていました。
 
到着は受付終了間際の午後4時25分ごろ。境内は私たち3人の貸切。静かな境内をのんびり見学。
方丈玄関口を上がったところに講習を受けている数名。帰路に着こうとしたら方丈に2名入ってきて、
すでに拝観(午後5時まで)は終わっているはずなのに、上には上がいる。
 
酬恩庵
酬恩庵
 
 
酬恩庵 方丈
酬恩庵 方丈
 
この方は、この日に回った寺院すべて初体験。
 
酬恩庵 方丈庭園
酬恩庵 方丈庭園
 
土塀の向こうの樹木は少し色づきはじめています。10月下旬〜11月初旬に朝晩冷え込まねば、
紅葉はおそいかもしれません。