2014年4月24日午後2時〜3時過ぎ この時季にしては汗ばむ陽気 新緑の圓徳院。
圓徳院は1632年(寛永9)高台院(北政所)が没して9年後、甥の木下利房が創建。
その前に高台院が伏見城・化粧殿の前庭を移築し、移り住んだのが圓徳院の起こりという。
南庭は近年の作でみるべきものはないが、北庭の枯山水は桃山期の作と伝わる。
高台寺から圓徳院へ下る石段
高台寺から圓徳院へ下る石段
 
緑陰が日差しを隠す、あるいはやわらげる。盛夏でも涼風が渡るのはこのあたりだけ。
 
農家で採れた野菜を高台寺に届けるさい登った坂ということで、台所坂と呼ぶ。
 
 
石段もここまで降りると容赦ない日差しが照りつける。真夏は暑おっせ。
 
 
圓徳院 長屋門
圓徳院 長屋門
圓徳院 由緒
圓徳院 由緒
三面大黒天
三面大黒天
 
上の木札に記されている「三面大黒天」の御堂の一部。秀吉が念持仏とした尊像が安置されている。
 
 
青々とした木々、葉っぱを見ると心やすまる。
 
唐門
唐門
唐門
唐門
南庭
南庭
南庭
南庭
 
圓徳院の廊下を数名の修学旅行男女高校生がドヤドヤとわたってきて、何を見るでもなし、庭は一瞥しただけで
数秒後には出口から外へ。彼らが足を止めたのは宗旦狐の置物の前のみ。30秒はいたか。
私たちが見学終了して外に出ると、出口近くの「辻利」でアイスクリームを食べていた。15分はたむろしていたはず。
 
その後どうしたかというと、長屋門そばで待たせてあった観光タクシーに乗ってどこかに行ってしまった。時代ですな。
宗旦狐
宗旦狐
 
紙に書いてあるから説明は飛ばそうと思いもしたが、「宗旦狐 幕末〜明治  江戸時代御所周辺に出没した古狐。
茶の湯の宗匠に化けて、茶会に出たり、僧侶に化けたりしたという。」と記されている。
 
名残の椿  どすえ
名残の椿  どすえ
 
 
 
 
北書院と北庭
北書院と北庭
 
北書院は方丈よりこぢんまりしているが、方丈・南庭のお粗末さに較べて見応えあり。左の掛軸の絵は高台院。
 
北庭 北東部
北庭 北東部
 
伏見城の北政所化粧御殿の前庭を移したといわれ、桃山期の代表的庭園のひとつ。後に小堀遠州が手を加えたともいう。
地泉回遊式であるが枯山水となっている。
北庭
北庭
北庭
北庭
茶室
茶室
 
北庭の北西に位置する檜皮葺きの茶室。
 
茶室と桧垣の手水鉢
茶室と桧垣の手水鉢
桧垣の手水鉢
桧垣の手水鉢
 
宝塔の笠にあたる笠石の横面を凹型に切り取って手水鉢とした。笠石は室町時代のものという。
北庭
北庭
北庭 蓬莱石
北庭 蓬莱石
 
この石組、特に橋に使われいる石は巨石で、大きさ、厚みともに桃山時代の遺物ともいうべき豪華な好みをあらわしている。
 
北庭 東
北庭 東
 
圓徳院の出口付近からみる。円格子窓からのぞいた名残の椿どす。
 
 
青竹の覆いで隠されているけれど、何でっしゃろ。
 
 
 
 
修学旅行の高校生がたむろしていたアイスクリーム店(辻利)からすこし離れた土産物屋。何にみえます。箸置きどす。